このあとカラオケ行かない?
ごはんを食べ終えて、店を出たところで、彼がふいにそう言った。
時計は九時半。声のトーンは、いつもと同じ軽さ。
えっと、と口ごもりながら、私の頭は高速で計算してた。
これって脈あり? それとも、そういう狙い?
返事を待たれてる数秒が、やたら長い。手のひらが、じわっと湿ってた。
付き合ってない男女で、二人でカラオケ。脈ありなのか。そして、危なくないのか。はっきり書いておくね。あの部屋は、密室というより採点機。
ただし採点されるのは、あなたの歌唱力じゃない。あの空間での彼の振る舞い。
歌う場所としてじゃなく、人を見る場所として使えば、カラオケほど情報量の多いデートはないよ。
二人カラオケに誘う男の、頭の中
歌いたいだけの人は、たいてい一人で行く
今の時代、歌いたいだけならヒトカラでいいわけ。
一人のほうが好きな曲を連打できるし、気も遣わない。
つまり、誰かを誘う時点で、目的は歌そのものじゃない。
ただ、ここで慌てないでほしいの。歌以外の目的、イコール下心とは限らないから。
あなたが歌ってる素の顔を見たい。盛り上がって距離を縮めたい。喋るだけじゃ足りない。そういう動機もぜんぶ、歌以外の目的でしょ。
黒か白かじゃなく、その目的の種類を見分ける。そこがスタート地点。
誘われた時間帯で、目的はだいたい割れる
判定に使えるのが、時間。これがいちばん手っ取り早い。
昼間や夕方に、カラオケ行こうよ、と最初から予定として組んでくる人。これは素直に、一緒に遊びたい人。
夜のごはんのあと、九時とか十時に流れで出てくるパターンは、その日の空気次第。まだ帰したくないんだな、くらいの話。
問題は、終電を過ぎてからの誘い。
あれ、カラオケの提案じゃないの。朝までいられる場所の提案。
歌いに行こう、という言葉の形をしてるだけで、中身が違う。そこを混ぜて考えないで。
採点されてるのは、あなたの歌じゃなく彼のほう
部屋に入って三秒、どこに座るかで全部出る
ここが今日いちばん伝えたいところ。
カラオケの部屋って、たいていソファがL字か、コの字でしょ。しかも狭い。
そこで彼が、どこに腰を下ろすか。
真横にぴったりくるのか。九十度の角の位置を選ぶのか。それとも、テーブルを挟んで向かい側に座るのか。
この選択、本人はほぼ無自覚。だからごまかせない。
まだ付き合ってない相手が緊張することを想像できる人は、勝手に距離を残す。逆に、狭いんだから当然、みたいな顔で密着してくる人は、その想像をしてない。座り位置は、配慮の解像度がそのまま出る答案用紙なんだよね。
リモコンとマイクの譲り方に、自己中さがにじむ
もう一つ、露骨に出るのがリモコンの扱い。
自分の曲ばかり五曲連続で入れて、こちらのターンが回ってこない人。あなたが歌ってる間、スマホをいじってる人。デュエットをぐいぐい押してくる人。
逆に、なに歌う?と先に聞く人。知らない曲でも、ぱちぱち手拍子する人。ちゃんと画面を見て聞いてる人。
歌が上手いかどうかは、判定材料に入れなくていい。むしろ歌自慢の人ほど、自分の番を優先しがちだし。
見るのは声量じゃなく、マイクを渡す速さ。
二時間の中で、彼が何回あなたに順番を譲ったか。それだけで、この人の性格はけっこう分かる。
これが出たら、歌わずに部屋を出ていい
照明を落とす、鍵に手を伸ばす、酒を足しつづける
勝手に部屋の照明を暗くする。内側から施錠しようとする。あなたが断ってるのに、お酒を追加で頼む。じりじりと距離を詰めてくる。
どれか一つでも出たら、その時点で荷物を持って立っていい。
理由を説明する義務なんて、まったくない。トイレ、でも、明日早い、でも通る。
暗いほうが雰囲気出るじゃん、みたいな軽口に付き合わなくていいの。
フロントまで行けば店員がいる。廊下には人が通ってる。部屋の外に出るだけで、状況は一気に変わるから。
昼のカラオケと深夜のカラオケは、別の生き物
同じ店、同じ部屋なのに、時間で性質がまるっきり変わる。
昼から夕方は、人の出入りが多い。店員が来ることもあるし、廊下から他の部屋の声も聞こえる。時間を区切って入れば、それはただの遊び。
一方、深夜のフリータイムは構造が違う。長時間で、外の情報が入らなくて、そもそも帰る足がない。
まだ信頼ができてない相手と、その条件をわざわざ選ぶ理由って、そんなにないでしょ。
行くなら明るいうち。これ一つ守るだけで、心配することの八割が消える。
選曲リストまで作って浮かれた、私の話
前日に練習までしたのに、歌詞が全部飛んだ
恥ずかしい話をするね。
昔、気になってた人から二人カラオケに誘われて、私は完全に舞い上がったの。脈ありだ、って。
前日、スマホに選曲リストを作った。彼が好きそうなアーティストを調べて、家でこっそり練習までした。今思うと、いや、必死すぎない?(笑)
当日、部屋に入った瞬間、彼はためらいもせず私の真横に腰を下ろした。肩が触れる距離。
一曲目のイントロが流れた時点で、私の頭は真っ白。用意してた歌詞が、ぜんぶ飛んだ。
マイクを握る手が、汗でぬるっと滑った。あんなに練習したのに、声が喉から出てこないの。
三曲しか入れなかった彼が、見ていたもの
その二時間、彼が入れた曲は三曲だけだった。
残りの時間、ずっと喋ってた。しかも喋りながら、じりじり距離を詰めてくる。
途中で、暗くしようか、とリモコンに手を伸ばしたのも覚えてる。
その時、私は無意識に、曲のリモコンを胸の前で抱えてた。盾みたいに。
あ、この人、歌に来てないんだ。そう気づいた瞬間、耳のうしろがかっと熱くなった。恥ずかしさなのか、腹立たしさなのか、区別がつかなかったな。
その後、連絡は続かなかった。彼が見てたのは私じゃなくて、二人きりになれる部屋という条件のほう。私は歌の採点を気にしてたけど、採点表を出すべき相手は、彼だったのに。
行くと決めたなら、主導権を手放さない
終わりの時間を、入る前に決めておく
行きたい気持ちがあるなら、行っていい。ただ、順番だけ変えて。
店に入る前に、一時間だけね、と口に出しておく。
延長って、流れの中で勝手に起きるものだから、先に杭を打っとくと強い。フリータイムは選ばない。
この一言があるだけで、帰りたくなったときに、時間だから、で出られる。
その場で断る理由をひねり出すのって、けっこう体力がいるの。だから、理由を作らなくて済む状態を、先に用意しておくわけ。
気まずくならないし、相手にも予定として伝わる。損なんて一つもないよ。
一曲目を、自分から入れる
もう一つ、地味だけど効くやつ。
部屋に入ったら、まずリモコンを自分が握って、一曲目を入れちゃう。
最初に歌う人が、その部屋のモードを決めるの。歌モードで始まれば、喋りモードに固定されない。距離を詰める空気にもなりにくい。
しかも、下手でも先に歌ったほうが絶対に得。ハードルを自分で下げると、肩の力が抜けるから。
上手く歌おうとして固まってる時間、まったく楽しくないでしょ。
音程は外していい。そのかわり、部屋のペースは渡さない。
カラオケから始まった人たち
下手な歌を先に歌ってくれた人
だいぶあとの話をするね。
別の人と、昼のカラオケに行ったことがある。付き合う前。
その人は、部屋に入るとテーブルを挟んで向かいに座った。それから、なにも聞かずに一曲目を入れた。
これが、びっくりするくらい音痴だったの。全力で外してくる。
私、げらげら笑って、途中から腹が痛くなった。そのあと自分の番が来た時、緊張がどこかへ消えてたんだよね。
彼はたぶん、狙ってやってた。私が歌いにくいだろうな、って想像して、先に自分でハードルを壊してくれたんだと思う。二時間、笑い声のほうが歌より大きかった。その人とは、そのあと付き合ってたよ。
